振り子(暫定)




映画を観ていたら
数年前に
原作本を読んだ時の
印象が蘇ってきました

先の見えない
絶望感が優先する展開は
微かな記憶通りでした



先日のラジオ番組の中で

希望を描いてほしいとの
リクエストを
受けたこと

この映画の希望は何か
考えたこと

そう語っていたことを
思い出して
最後に流れる主題歌は
どんな風に聴こえるのか
考えてしまいました


公開になっている歌詞は
読んでいても
このストーリーで
希望を歌うなんて。

映画の最中では
そんな印象が先行していました



振り子のイメージは
自分の中では「調和」
と感じていて
映画途中では
振り子とした
タイトルに違和感さえ
覚えてきました







Uru『振り子/Break』
揺るぎない歌声で
苦しみの先に灯る
光を描いた両A面の
ニュー・シングルを語る


Mikiki
インタヴュー・文/久保田泰平
bounce 2020 November

悲しいニュースが続いたなかで、例えばそこにこの曲があったとしたなら、ただ悲しみや苦しみをなぞるだけの曲になっていないかとか、最後の一行は本当にこれで良かったのかどうか──曲を聴いてくださった方のなかに、いままさにもがき苦しんでいる人がいたとして、頼ることのできる、すがることのできる〈愛〉がその人の周りになかったとしたら、この最後の一行は逆の意味になってしまわないか、とか、いまでもいろんなことを考えたりします。

でも、苦しみながらももがき続けていれば、〈振り子〉は必ず光の方角へ振るんだということを叫びたい強い気持ちもあります。

大統領選に敗れたヒラリー・クリントンさんのスピーチにもありましたが、

〈求め続けること、信じ続けることをやめないで〉という想いでこの曲を書きました。

それは自分の立っている場所がしっかりとした場所だから言えることで、それもまた個人のエゴでもあるのかなと思うと本当に行き着く先の答えがよくわからなくなったりしますが、でも、やはり最後はそう伝えたいです






自分の考えていた
振り子の発想の
何と貧弱なことか

映画から戻って
このインタビューの言葉を
改めて読んで
振り子への想いの次元が違いすぎて
作詞者の発想の飛躍というか
考えの深さや柔軟さに
圧倒されました


自分は
振れ幅で揺れ動く気持ち位までしか
考え付きませんでした

人それぞれは
その時々で
喜びや悲しみを経て
失望や損失があっても
それを埋めて余す程の
希望や幸せを掴めること(はず)


母親を亡くす家族と
母親と再会する家族があること

引き継がれた玩具が壊れること

これらを最後のメッセージにして
映画が語り掛けることは何か

これくらいの感想しか浮かばず
映画を観たことに
しようとしていました




しかも
作詞者は
振り子を書いた後も
ひとり歩きしていく
この作品(子ども)を
心配しています

受け取る側への配慮まで含めて。


作品(子ども)を送り出す(届ける)
いつものUruさんの気持ちは
ここにも在りました


2017年の
アリアケノツキを
クローズアップしがちな
自分ですが
きっと100曲の頃から
届けることの責任感は
変わっていないのだと思います



今の自分のすべてで歌う

改めて
この気持ちの奥ゆかしさや
真摯な姿勢を感じさせられることに
なりました

これが
これからも
多くの人に認められていく
理由だと思います









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