Uruさんの振り子の歌詞の意味を考えてみました(暫定)




振り子の歌詞の意味




初めて 歌詞を読んだ時
歌詞の この部分が
とても印象に 残りました

擦り減った靴の底には
泥や石が挟まったまま
私は生涯この靴で歩いていく




最後の行にある 歌詞に向かって
昇り詰めていくような
感覚も良かった

愛を知って 生きる意味を知った




それから Break共々
風が 吹いているところも
好きです


第一印象から
歌声を聴き 改めて歌詞を読んでみて
「靴」には
その先のあることを 感じます


最後の一行に あえて
真っすぐで 平生な言葉を
選んだ気持ち

そこに 行きつくまでの
奥行きのある 歌詞


あえて
対比させているような 印象です


日常にある
誰もが 共有できる 気持ち
そんな思いを
最後の一行に 乗せて
そこに 行きつくまでの 歌詞は
迷い彷徨う 姿を
表しているような 気がします


振り子と したのは・・・

今回 映画化された「罪の声」
原作を 読んだことがあります
物語には 不遇の子供たちが
居ました

「子」という 言葉を
必要としたのかも しれません


それから
「時間(時計)」も
暗示させる 振り子

見る夢や 目が覚める 毎日
長い時間を イメージさせます

地に 足のつかない
長く不確かな 時間

平生の訪れない 不遇の時間
目標に向かう 決断までの時間


そんな時間を 過ごしたことは
決して無駄では なかったとを
告げているように 読めます


塩にしてきた人生
結果 その靴で 歩いていく
靴の記憶が
愛されていた記憶を 覚まします

「靴」と「愛」は
一致していると 思いました

「靴」を 知って
生きる意味を 知った

靴の記憶の 意味に 気付いて
愛されていたことを 改めて知る


その「靴(意志)」で
前に 進んできたこと

これまで 進んでこれたのは
その愛に 支えられていたから


これからも
その「意志(靴)」で
前に 進んでいくこと

これからも
進み続けけることが
その愛に 応えること


擦り減った靴の底には
泥や石が挟まったまま
私は生涯この靴で 歩いていく

それでもあなたという光が
明日を照らしてくれたから
(私はこの靴で歩いてこられた)




「靴」は
かけがえのない「思い出(遺志)」
自分には
そう思えて 仕方ない


この歌詞は
迷い彷徨い 決意するまでの 過程から
見いだされる 希望の尊さを
伝えながら

大切な 希望は
自分だけの 代物では ないことを
届けてくれているような 気がします




毎日夢を見て毎日目が覚めて
夢と現実の狭間で
ぶら下がって足を浮かせたまんま
風が吹けば吹かれた方へ流されて
我武者羅に走った汗を
ただの塩にしてきた人生も




擦り減った靴の底には
泥や石が挟まったまま
私は生涯この靴で歩いていく
それでもあなたという光が
明日を照らしてくれたから




毎日夢をみて毎日目が覚めて
夢と現実の狭間で
ぶら下がって足を浮かせたまんま
風が吹けば吹かれた方へ流されて
我武者羅に走った汗を
ただの塩にしてきた人生も




愛を知って 生きる意味を知った





靴から 生きる意味を 知るまでの
歌詞の 仕組みは
振り子の カタチを
しているように 見えました


②と④は
同じ意味だと 思います


②靴の段落は 自身を代入した気持ち

④は罪の声に 捧げる気持ち
だと思います


振り子のカ タチで
重ねることで 希望は 強調されて
届いています


転調される メロディーと共に
希望を 描き切っている
歌詞感が 響きます




自分は
ここまで 書いたサビ以上に
「毎日夢をみて毎日目が覚めて」
に向かう
冒頭の 3つの段落が より好きです


靴に 泥や石が挟まる過程を
示唆しながら
「すなお」に
繋がる 歌詞感も
感じさせられて
締め付けられます



放り投げた強気な言葉たちが
この姿に舞い戻ってきて・・・

泣いて笑って・・・
そのくらいでちょうどいいや



すなお 歌詞抜粋




そして
今回の 作詩には
死生観(宗教観)も 感じます

8枚目のシングル「願い」
に共通する 感覚です

死生観は 愛する者がいるから
浮き彫りに
なりやすいのかもしれません


考えてみると
100曲にある 節目の曲
初曲 ひこうき雲 や
100曲目 奏 にも
同じ印象が あります


今年リリースされた
あなたがいることで
振り子
Break


Uruさんに とって
コロナ禍の中で
何を 伝えるべきか
考え抜いた 結果
生まれた 歌詞や 歌唱は
新たな節目に 在る気がします 




先日 放送された
南波志帆,さんの ミューシックライン

振り子に関する 制作秘話から
言葉の選び方の 難しさや
直観と考察との バランスを
意識したことが 伺えます


Uruさんの 作詞する気持ちは
手の届かない ステージにあると
思います



今回の 振り子の意味

いくら 考えても
追いつけないのは
分かっていても
考えないわけには
いきませんでした



心に ずしっと 何かが刺さった

直観的な部分に 頼ると
出てくる言葉が 難しい

生きていく事の
厳しさ 大変さを感じた

映画が 描いている
生きていく上での
人肌を求める 音楽って
愛が 必要なんだな


先方からは
希望を 描いてほしいと
リクエストを いただいた

この映画に合う 希望は
どういう ニュアンスなのか
思い浮かぶ 言葉が
薄っぺらくなってしまう


素直な感想を 殴り書きして
そこから 少しずつ
書いていった


この映画が
描きたかった 希望って
どういうところなのか


今まで
えぐられていたものが
安易に
埋められるようなもの ではなくて
爪の先に 引っかかるような
ほんの少しの きっかけなのか
希望の描き方を 考えた



ミュージックライン
10月30日(金) 午後9:30放送
南波志帆, 【ゲスト】Uru









サバカンラジオ


Uruさんは 鯖からの便りを
すべて紹介 出来ないことを
気遣っていて
ラジオの度に
「すべて読んでいます」と
伝えてくれています

今年の初め頃?
一度だけ?
そのコメントが
語られなかった 放送回が
あった記憶があります

鯖に 決して
嘘を 付きたくないとする
慎ましい Uruさんを 想像します


その時
多忙を極めていると 感じました
オリオンブルーの 仕上げや
あなたがいることで
スタジオライブや セルフカバー

振り子や Breakの制作
ライブの準備
サバカンコンテンツの対応・充実
初めての テレビ出演

鯖から 見えているだけでも
これだけある中で
コロナ禍での
負荷・心労も 重なります



初めての テレビ出演の中で
「今の自分のすべてで歌う」
と 伝えられた時は
ただただ 感動していました

これまで どんな場面でも
全力で 届けようとする姿勢に
通じる言葉と 受け止めていました

3つ 届けてくれた
あなたがいることで
の事を 考えていると
「今の自分のすべてで歌う」と
語った 気持ちは
必ずしも その印象とは異なり
それだけではない と感じます


デビューライブで 聴いた
糸 メロディー
100曲にある カバーを
そのまま 再現されていて
驚いた記憶が あります
とても高い技術 歌唱力に脱帽でした

常々 Uruさんの 歌唱は
歌い過ぎたり
歌い足りないことのない 安定感や
再現能力の 高さに
驚かされていますが
「あなたがいることで」は
3様の歌唱法で 届けてくれていて
意外でした


初の TV出演での
「あなたがいることで」は
最初のMVの 歌唱ではなく
スタジオライブでの
歌唱だと 思いました

その都度
3通りの 歌唱を
再現していることから
それぞれに 意味を与えていると
感じました

その場限りの 環境によって
たまたま 3通り
聴かせてくれたのではない
理由がある

「今の自分のすべてで歌う」
この言葉の 意味は
最善を 届けることに
もっと深い動機が あると思います

未だ 納得できる説明に
ならないのは
Uruさんの その気持ちに
至っていないから。

大切な 靴は
リクエストされた
希望に 繋げる役割にとどめ
「愛を知って・・・」と
結んだ 振り子の 歌詞にも
同じ気持ちが あると思います

もっと よく考えないと
いけないはずです











振り子のMVが 届く前に
後姿を 届けてくれました

あの長い髪は
もうひとつの 靴だと感じます

初期の シングルCDには
ポストカードが 同梱されていました

その中に リュックを背負い
ポニーテールを 提げた
女の子が 居ました
娘よりの 女の子だと思います

長い髪を梳く、梳かれるのは
母と娘の 初めての 会話であり
母親の愛情を 感じる記憶だと
思います


長い髪を 梳かれた記憶と
背負われた 背中から
降ろしてもらい
自分の靴で 歩き出す記憶は
同じものだと 思います


振り子のMVを 届ける時
その後ろ姿で
思い出の 重なりを
伝えて くれたのかも
しれません


サバカンラジオの 似顔絵で
お父さんと 手を繋ぐ
ポニーテールの 女の子を
描いてくれたことが あります

その絵は
父性に 愛される笑顔が 溢れていて
忘れられない 思い出です


そして
罪の声の 舞台には
瀬戸内海も あるようです


先日
似顔絵の お二人が
その瀬戸内海を 訪問する
呟きを 読ませていただき
もう ポニーテールではない
成長された 姿は
靴の その後にある 希望に
繋がるような 気がして
とても 幸せな気持ちに
なりました






今夜も LiSAさんと
「再会」を 歌うために
今の最善を 尽くす
Uruさんが 居ます


歌詞にある靴で 歩んできた過程の
ほんの 一部しか
同行していないと 思いますが
少しでも その気持ちに
近づきたいと 思います











歌詞


薄汚れた網戸が
ずっと目の奥にはまってて
青い空が見てみたくて
誰かに開けて欲しかった
求めれば求めた分だけ汚れてった
でも、誰かの傍にいることで
私はここに在った


ただ朝が来て夜が来る
ただ生まれて死にゆく
そこには何の意味もない
独りごちては腐った


床を撫でるだけの雑巾がけのように
形だけは一丁前で
塵を舞い上げて吸い込んで
噎せ返っては一人泣いて
それでも私はどこかで
ずっと愛を求めてた


毎日夢を見て毎日目が覚めて
夢と現実の狭間で
ぶら下がって足を浮かせたまんま
風が吹けば吹かれた方へ流されて
我武者羅に走った汗を
ただの塩にしてきた人生も


擦り減った靴の底には
泥や石が挟まったまま
私は生涯この靴で歩いていく
それでもあなたという光が
明日を照らしてくれたから


毎日夢をみて毎日目が覚めて
夢と現実の狭間で
ぶら下がって足を浮かせたまんま
風が吹けば吹かれた方へ流されて
我武者羅に走った汗を
ただの塩にしてきた人生も


愛を知って 生きる意味を知った





















振り子の 歌詞の意味を
整理してから(書いてから)
映画を 観ようと
考えていました

鑑賞後に 書き直さないと
いけないと 思いますが
行ってこようと 思います

この週末に
行けるといいのですが・・・



映画の主題歌と 言うと
追憶のふたり を思い出します

この映画では
主題歌は 映画の気持ちに
溶け込み 寄り添い
欠かせない 作品に
なっていました


今日
断片的でも 歌詞の意味を考えてみて
きっと「振り子」は
あの時の「追憶のふたり」と
同じ役割を 果たしていると感じました

エンドロールに 流れる感動を
味わいたいと 思います































 

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