楓 と 空も飛べるはず



スピッツの数ある名曲の中にあっても
代表曲と言える「楓」だと思います

そのタイトルを「楓」としたことにも
興味は尽きません


校舎での 記憶は
作詞者の 気持ちに
いつまでも 離れずにある光景
だと思います

美しく 懐かしい
思い出を 繰り返し
歌うことで
そのメッセージを
伝えてくれています


落葉樹としての「楓」

多彩な色を 纏いながら
うつろう その佇まいに
少年の 変遷していく心境を
なぞらえたものだと
思います



それから
自分の中で
「楓」と「空も飛べるはず」は
どこか 繋がっています
でも まったく根拠なしです

「楓」の歌詞の意味を
 考えていたら
「空も飛べるはず」PVの光景が
「楓」のイメージに
重なってしまいました

「空も飛べるはず」PVの
ロケ地は 茨城県の霞ケ浦湖畔にある
廃病院とのことです

木造の廃墟に見える建物が登場します
自分には それが校舎に見えて仕方ないです

PVでは
なぜか 女性看護師が
遊びまわるスピッツメンバーの中で
シャボン玉を飛ばしたり
シーツのようなものを
干したりしていて
「病院」のイメージも醸し出しています

「校舎」と「病院」のイメージを
両立させる狙いでしょうか?
何のために???

とても 不思議な映像です


それでも
何となく こんなことを感じています
こじつけかもしれません

子供にとって
病いは 身近なものです

多少の熱が あっても
擦り傷が あっても
走り回る 元気こそ
子供らしいことです

子供にとって
女性看護師さんは
母親と 同様な存在です

シャボン玉を 飛ばすシーンは
一緒に遊んでくれるイメージを
描いたものかもしれません

草野さんを
ベンチで挟んで 座るシーンも
共に 歌を口ずさむような
子供に 優しくする 看護師さんを
イメージさせてくれます

校舎と 病院を
両立させる ことは
子供の頃の 校舎の思い出そのもの
なのかもしれません

そして
「空も飛べるはず」PVには
湖畔に立つ 大きな木に寄り添って
歌うシーンも 現れます

柔らかそうな 芝生も
看護師の持つ 母性の優しさに
包まれるような 感覚です


そんなことを
考えていたら
「楓」は どんなときも
作詞者の とても身近な場所にあったものと
考えるようになりました

安易な 発想なのですが
「楓」は
思い出の中にある校舎には
それこそ陳腐な光景になるほど
常に 寄り添うように
あったのかもしれません

校庭で遊ぶ 成長したスピッツたち
それ以外の すべては
スピッツたちの
思い出の映像なのかもしれません

 
そんな「空も飛べるはず」のシーンは
「楓」PVの プラネタリウムの映像と
繋がってしまいました

私たちには 「星」を眺める習慣があります

天体に見える「光」は
気の遠くなるような過去の「光」です

見つめる者 と 見つめられる者 は
違う時間を 過ごしているのに
とても 魅かれあいます

違う環境にあるからこそ
魅かれるのかもしれません

そんな ニュアンスは
今の自分と 記憶の中の自分とを
繋ぎ合わせた 「楓」の歌詞に
重なるような気がします


ロビンソン
空も飛べるはず
みなと


そして
もうひとつのスピッツ?






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